待つ子育て。待つ自分育て。

 

今日は自分の子育ての、これまでとこれからについて書こうと思う。

なぜかというと、モザンビークに来たこのタイミング、実はわたしは今、かなり大きな節目にいると感じていて、

今自分を変えたいと思っている。

これまで自分にしか置いてなかった軸を、人のために生きれるようなそんな軸へと変えていきたいと思っている。

 

正直こうして公の場でこのようなことを書くのは勇気がいる。

これまで自分の嫌な部分にはいつも蓋をして隠していた。

でもまずは自分を認めて、改めるべきところは改めなければ成長できないと思うから、ここに書こうと思う。

もしかしたら、同じように感じている母親たちも、少しはいるかもしれないからシェアしたい。

 

週末にかけて数日間、夫が出張で不在だったのでずっと子供たちと過ごした。

正直、こんなにたっぷり子供と向き合い自分を差し出したのは、かなり久しぶりと言える。

 

言葉にするのは怖いけれど、

今まで子供と向き合うのをいつも避けていたと思う。

 

なぜ子供と向き合うのを避けていたのか、その理由を掘り下げてみる。

 

それはきっと、子供と対峙すると、自分の器の小ささが丸出しになるから。

いつも何かを急かしていてイライラして、ドーンと受け止めてあげれない小さい自分が嫌だったからだと思う。

そんな面倒なものには蓋をしておいたほうが楽だった。

 

正直、外ばっかりみて、常に心ここにあらずだったと思う。

成長は外にあると思っていた。

仕事をたくさんして、できるだけたくさんの経験をして、色んな場所に行って。

そういうのが自分には必要だとばかり思っていた。

 

しかしそれは真逆だった。

いつも、目の前にいる子供との時間や今を味わってなかった。

そういう意味で写真を撮っている時だけは、心と体と今起きている瞬間とが繋がっていた。

だから写真を撮ってると癒された。

 

 

どれだけ外ばかり見て経験だけ増やしても、本当の意味での成長はできないんだと思う。

子供と一緒にいる時には、どっぷり子供を大切にする。

それは自分自身が本当の今の時間を過ごすということにつながると思う。

焦らず、今目の前にいる人やものとちゃんと一緒に過ごす。

 

写真を撮ってる時のように。頭と体と今とを繋げる。

ちゃんと今を過ごして、今を繰り返す。

 

 

日曜日、

午前中たっぷり勉強を見てあげ、

絵を描き、塗り絵をし、

海辺のカフェにランチに行き、

ブランコを一緒にして、

博物館に行った。

手を繋いて家まで帰って、

一緒に庭で遊び、

夜はずっと抱っこして、テレビを見た。

 

1日どっぷりママを差し出した。

それだけで息子たちは随分安定したようだった。

そしてわたしも安定していた。

 

 

わたしは昔から、せっかちでイラチな性格で、いつも感情に支配されていた。

何をそんな焦っているのか自分でも全然わからないけど、常に焦っていた。

 

落ち着いて考えると、彼らはほとんど怒るようなことはしていない。

正直、すごくいい子だ。ちょっとスローなだけ。

でもいつも彼らを急かして待てなかった。本当に悪いことをしていたと思う。

 

子育てのほとんどは、待つこと。

待つことができたら、子育てはほとんど成功したと言えると思う。

待つ、というかゆっくりでいいと認めること、というか。

ゆっくりでいいんだと思たら、驚くほど心が今に落ちてきて、何にこんなに焦っていたんだろうかと思った。

 

今をちゃんと味わいつくして、それを繰り返していく。

 

その積み重ねが、いい未来へ繋がるんだと思う。

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