アフリカでの生活、3ヶ月目に想うこと。記録。

モザンビークでの生活を始めて3ヶ月目に想うこと。

 

 

気づけばモザンビークに来て、3ヶ月が経っていました。

この3ヶ月を振り返ると、もう半年前の自分が遥か彼方遠くに感じるくらい、激変した時期だったなぁとしみじみ。たったの3ヶ月。一瞬のように感じますが、この間に起きた変化はすごいなと想うので、ここに記しておきます。

 

今から半年前を振り返ると、カンボジア生活のカウントダウンに入っていて、もう目の回るような忙しさでした。

朝6時に起きて、長男と次男にご飯を食べさせお弁当を用意し、長男をバスに乗せ、次男を学校に送っていったら、

息つく間もなくまず最初にパソコンを立ち上げ、facebookを開ける。すると別々のチャットが同時に10スレッドくらい立ち上がっており、同時進行でそれぞれの人と様々なやりとりをする。

その合間に撮影をして写真現像や映像の編集もして、ミーティングをし、新しい企画を立て、宣伝して・・・。

平日だけじゃなく、土日も撮影がたくさん入っていて、子供たちを友人に見てもらったり、お手伝いさんに見てもらったりしてなんとか必死で、取り繕うようにやりくりしていました。

旦那さんはいないし(様々な事情で計2年くらいカンボジアで母子生活をしていた。笑)、引越しの準備もしないとだし、撮影依頼はどんどん入ってくるし、送別会もたくさんあるし etc…

 

 

何かを味わうような余裕なんて一切なく、ただただ嵐の中を猛ダッシュで走り抜けるようなそんな日々でした。しかしそれはそれで幸せだったんです。全てが自分が撒いた種であったし、全てやりたいことだったことが救いだったような気がします。

 

 

 

そしてカンボジアを離れ、一時的に日本の故郷に帰り、会いたい旧友たちにたくさん会って、

桜の時期にも重なってか、文字通りゴクゴク栄養を補給するような1ヶ月を過ごしました。

モザンビークに住むことは頭ではわかっていたのだけれど、どんな所なのか、どんな生活が待っているのか一切想像もできなかったし、そしてほとんど何の準備もしなかった(笑)。もう日々をこなすのに必死すぎて、1ヶ月先の準備すらできなかったのが正直なところでした。

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一転。

何の決めごともせずに赴いたこの地に来てからの日々は、

もうなんていうか本当に穏やかで、

街の様子も日本やカンボジアと比べたら随分とゆったりしていて、

そしてまた、たまたま住むことになった家には大きすぎず小さすぎず、ちょうどいいサイズの庭があったのです。

 

来た当初は、誰にも使われる気配すらなかった、誰も踏み入れることなかった庭に、

今少しずつ鎌を入れ、種を蒔き、空間を作っています。

 

庭での時間と、子供との時間。それからたっぷりある自分一人の時間。

一時一時が本当にゆったり流れていて、まさにもう「静かな幸せ」っていう感じ。

 

自分でも気づかぬうちに「何かをしていないと死んじゃう病」にかかっていたわたしは、

何か日々のトピックや仕事がないと自分は生きてる価値がないんじゃないかとまで思っていたし、

暇な日々は自分を殺してしまうのではないかとまで思っていたのです。

それはきっと過去のトラウマから来ています。20代の東京で過ごしていた時期、洞穴で過ごしていたような暗黒時代があって、その恐ろしい無価値感の恐怖からくるものだとは想うのだけれど、

 

それがなんと自分では信じられないことに、その呪いから知らない間に脱出していて、

今はその真逆の日々を歩いています。

かつて思い込んでいた恐怖は幻想だったのです。

 

人生ってなんだろう、不思議だなぁと思わずにはいられない。

 

 

 

そして何より、仕事や忙しさというものを言い訳に、今まで逃げ回っていた

母親という役割や妻という役割を、

なんというか、目の前にちゃんと据え置いて、じっくり大切に料理するようなそんな気分になっています。

 

今の目標は、自我という皮を一枚一枚、脱いでいくこと。

 

 

 

しかしそれでも朝の散歩中に浮かんでくる言葉の中には、

ちゃんと木をくべてクリエイティブの灯火は消さないでおこう。

自分から湧き出てくる感覚をちゃんと大切に守り育てていきたい、というものもあります。

きっとそれも自分に与えられた役目の一つなんだろうなぁ。

 

 

一人の人間には、複合的にいろんな役割が重なっているのだと思うのですが、

そのそれぞれの役割をまっとうし、いずれ役割が役目にかわり、

 

真ん中の部分がちゃんと満たされた時に、

自分から家族へ。友人、そしてその周りへと、

波紋が広がるように他者を光で満たしていけるのだろうと想うのです。